麦刈る人々




杜若さんが歌を貼ってくれたから
聴いてみました。

以前、猪瀬直樹か誰かの本で
当時の主流は軍艦から空母に移っていたのにも
かかわらずに、戦艦大和を造ってしまった日本の愚行に
触れておりました。

今の原発も一つのミスも認めずに
安全確認を怠った東電の愚かさの尻拭いのために
被曝しながらも危機を乗り越えようとしている
下請けの作業員達がいます。

今から考えると
上の愚かさにも関わらず、
蒔かれた麦が毒麦か良い麦かに関わらずに
ただ、目の前の不幸を刈ろうとする人々がいます。

それは、その人達が蒔いた麦ではなくって
触れればただれるような痛みが伴うものであっても
ただ、黙々と麦を刈ろうとする人々がいる。

かつて、そういう人々は何人もいて
これからも、現れるに違いない。

そういう人々のために、
綺麗な麦の種ばかりが蒔かれたわけではないのに
それは他人が蒔いた毒麦なのに・・・・。
あえてその麦を刈り、焼き捨てようとする人々がいます。

その人々に汚名がかぶさらないように暗闇の畑に
松明を持って刈り取る手元を照らせないものでしょうか?

無名の名前が暗黒の時の中で忘れ去られないように
一時でも歴史の中に名前が留まるように。


 (この麦と毒麦の表現はずいぶん昔に読んだ聖書の
 解説書のようなものから採りました。
  良い麦と毒麦は育ち終わるまでは判らないという
 内容でした。この麦は人のことです。
  最後の審判の時、良い麦は天国へ、悪い麦は
 カマドの中へ投げ捨てられるとのことです。

  今回の麦はしでかした不始末の結果という意味で
 当然、麦=人間ではありません)



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