野の首村

P1000439.jpg

我がご先祖様は
四国の宇摩郡の野の首村から
やってまいりました。

で・・・・野の首村ってどこよ?

というわけで検索をかけたら
出てこなかったのですが
息子Aが検索したら出てまいりました。

四国中央市の中曽根村野の首でありました
野の首村ではなく「野の首」でありました。

かろうじて地名しか残っていないその場所から
明治時代に北海道にまでやってきたのであります。

そうして何年もたったときに
故郷は遥か遠くにあります。
四国なんか行ったことはないんだけれども
きっといつかは行くかもしれない。

そんな気がいたします。
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No title

九州、中国地方には(全国的に、かな?)「~鼻」という地名が多くありますが、本来「はな」は「端」で、顔の「鼻」も同じく「(顔から)突き出たところ」。(岬、は新しい言葉でしょう)
そうなると、「野の首」も村の名でなく地名ということですから「八つ墓村」みたいなおどろおどろしい名前ではなく、「野(起伏のある平地)のくびれたところ」といったような意味なんでしょうね。

No title

三っ太刀さん

ご指摘ありがとうございます。
遠すぎて良く分からないのですが
海の近くだったようです。

いつか観光で行ってみたいなぁ。

No title

今、思いついて航空写真を見たら、「首」というのはくびれではなく、「頭」の意味みたいですね。
伊予三島の山の麓で、山裾にそのあたり一帯が天然の砦のようにせり出していて、見晴らしの利く場所みたいです。
ここからなら瀬戸内も一望出来て、水軍の輩出するのも分かりますね。

首がありました

どうやら首があったから野の首だったようです。
地形じゃなかったようです・・・・・すみません。

http://nakazone-e.esnet.ed.jp/modules/wordpress1/index.php?p=103

No title

なるほど!…と言いたいところですが、ちょっと首をかしげざるを得ない説明ですね、これ。
でも、地元の人が言ってるんだから、そうなんでしょうけどね。
其の七人がどういう素性の人だったのか、気になるところです。
普通に考えれば、水軍同士の争いの結果、戦死者が七名、みたいなことですが。
そうすると、「野々首」ではなく、「七首」とするのが普通でしょう。
もしかして「ななくび」が「ののくび」と訛って「野々首」と当て字されたのかな?
う~ん。やっぱり、砦として用いられた可能性の高い地形だから、「ななくび」っぽいですね~。

私の田舎には「七騎坂」という地名がありますよ。尼子と毛利が銀山をめぐって争った折、敗走する毛利元就を帰還させるために、元就の鎧を着込んで尼子勢と戦い、討ち死にした七人の騎馬武者を松を植えて弔った、という記録が残っています。(子供の頃には、まだ、その松と、松に飲み込まれかけた墓石がありました)
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