精神科学研究所

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日本の他の場所と同じように
我が町も雪だらけです。

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ハウスなんかこの通りです。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久しぶりに「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」です。

保守系の学生である小田村寅二郎が東大の法学部の教えに反抗し
支那事変から戦線を拡大し戦時中を理由に自由経済を禁止して
計画統制経済に移行してきます。

つまり、マルクス経済になってしまったのです。
天辺に天皇陛下を掲げていますが
政府は終戦を指示した天皇の話を無視していきます。

戦争目的はいつの間にか「アジアの解放」となり
停戦目標が決められていません。

小田村はこの異常な状態に保守派の学生を集めて
精神科学研究所を作り日本学生協会を作り
問題を広めていき統制経済で疲弊していた財界人がスポンサーでした。

しかし、東条内閣の時に牢屋に幽閉され
出てきたときにはスポンサーが潰されていました。

戦時中に学生は確かに弾圧されたのですが
それはマルクス主義ではなく保守自由主義者でした。


・・・ということは、つまり戦時中にマルクス主義の学生が
弾圧されたのではなかったのでした。
まぁ、弾圧されたのかもしれませんが
保守陣営も弾圧させてしまいました。

著者の江藤道朗先生は
この系譜の末裔の大学教授の弟子にあたります。
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戦前のマルクス経済学の研究

>楽さん お早うございます。
>>戦前のマルクス経済学の研究
 私は戦前には、未だ共産主義自体が疲弊し腐敗を始めた中世の専制体制下の資本主義に代わる、新たな時代の希望とも言える様な未知の領域に有るモノでしたが、ソ連以外には国家の政体に採用しての実験・実証を経て居ない事から、こうした学究的試みを一概に共産主義者の陰謀と切り捨てる事は出来ないと思います。

 戦前の日本の政治も、相当に混乱して居ます。 その原因の最たるは、近衛内閣が完全にコミンテルンの影響を受けて居たと言う事でしょうが、近衛さんにしても、日本をより良い国にしたいと言う理想が基本にあったと思います、唯、願望部分が多過ぎて、現実が見え無くなっていた、疑いは濃いですがね。

 共産主義者の活動は、明治期の終わり頃から幸徳秋水等に拠って続けられていましたが、明治天皇暗殺計画を実行直前に看破され、一味5~10人が逮捕~死刑になった「幸徳事件」と、その後暫くは平穏でしたが、大正12年の関東大震災の発生時に、大杉栄等の共産主義者の疑いがあるもの迄殺害され、更に、大正~昭和の端境期に朝鮮人によるテロが、度々が起こるきな臭い世相となりました。表面的には共産主義者達は、根絶やしになっていた様な状況だったのかもしれません。

 特高の捜査記録から、コミンテルンが日本の政治に、実際に細胞の種を蒔いたのは、昭和の初めと言われて居ますから(宮城与徳等)、是等日本政府の共産主義への警戒感の強さを看取したコミンテルンは、米国発の大恐慌と言う、戦争の予兆の様な現象に乗じて、本命の近衛文麿の調略~日本の政治崩壊に本腰を入れ始めたと看るべきでしょう。

 戦前の日本政府で最も強力な内閣を率いた東条英機は、混乱の中で、軍人らしく一番マトモに見える目標である国を護る事に傾注し始めました。

 然し、その当時5年~10年は、日増しに増大する外国勢からの、「経済制裁」の外圧で疲弊して行く経済を背に、ワシントン、ロンドン軍縮会議が行われましたが、その日本を咋に敵視した内容に、日本の世論は激高しましたが、一方で戦争をする準備も必要が増大し、大金の懸る建艦や飛行機の開発~量産という、戦争遂行には必須の海軍施設の増強と、12年以降、大陸で膠着化し始めた100万人の兵士の駐留費用で、最早、戦争を開始する他に出口は無い状態でした。

 ですから国民に一致団結、耐乏生活の甘受を呼びかける「一億総火の玉」「欲しがりません勝つ迄は」等の標語が、踊って居ます。 正に、国家の存亡の秋だったのですから、所謂、軍国主義化して行くのはやむを得なかったでしょう。

 こう言った世相でしたので、教理から戦争反対を唱える、宗教関係者の投獄も相次ぎました、共産主義を禁じる治安維持法の存在は、寧ろ当然視されて居たので、「マルクス経済がうの研究」等行えば、「主義者扱いされる」のは、寧ろ当然ですが、小田村さんは学者としてマトモな感性で、共産主義と資本主義の比較実権をしていたに過ぎないのですが、特高は「内容に拘わらず、疑わしきは罰す」と言う姿勢で、彼や学生たちも「非国民」扱いを受けたのではないかと思います。 正に、大恐慌の05年~開戦の16年迄、特に、10年以降の日本は、「味噌も糞も区別がつかない」、ヒステリーの状態であったと言う事でしょう。

 日本が平時であれば、小田村さん達は、共産主義者扱いでは無く、経済学者としてもっと冷静な評価を受けられたのかもしれませんね。

No title

ソロさん

ソロさんの見立てはかなり間違いです。
というのは昨日近衞さんの本を書いた人の動画を
見つけて見ていたから、近衞さんはかなり悪いって
分かっちゃったからです。

近衞さんは歴史的にどこかから守られています。
近衞家は天皇陛下の親戚なので
お目こぼしがあったのかもしれませんし
コミンテルンのお友達がいたので
ここからもお目こぼしがあったのかもしれません。

歴史はかなり改変されています。

間違って居るって、近衛さんにも良心的なめんがあったって事?

>楽さん。
>>近衞さんは歴史的にどこかから守られています。
 其れは、ズバリ、先帝陛下の思し召しだからですよ。 近衛さんは陛下より10歳年上で、兄の様な存在だった様です。 相談相手にもなって貰って居た様ですが、陛下は英国留学の折に、英国王キング・ジョージⅤ世(エリザベスⅡ女王の父君)と、義理の親子の様に親しい間柄を築いて居ましたから、日本と英米との戦いにしたく無かったのです。

 ダカラ、陛下を「ファシストの独裁者」にした、日独伊の三国同盟を締結した、松岡洋右を殊の外嫌って居ました。 陛下のご気持ちを汲んでくれると期待して、華族で唯一政治家をして居た近衛氏を重用したのでしょう。 大命降下3回の総理大臣は、他に桂太郎位しかいません。

 そう言う経緯ですから、私は、近衛氏を別に庇って居るわけでは無く、日本の敗因の第一は、コミュニスト近衛文麿のソ連寄りの売国政治にあると思って居ますから、もし日本を敗戦に導いた戦犯を挙げよと言われれば、真っ先に近衛文麿の名前を挙げますね。

>>コミンテルンに知り合いが居たからそっちからのお目こぼしもあったのではないか
 それはドゥ云う意味なのか分かりません。 先ず、彼は、極東軍事裁判を受けて居ません(出頭の前夜に、服毒自殺を遂げて居ます)から、連合軍が彼に懸けた罪状は分らないし、勿論、判決も無いのでは、「お目こぼし」も何もあったものじゃないでしょう。 然しもし裁判を受けて居たら、コミンテルン=ソ連は、そのスパイ活動を隠す為に、容赦なく死刑判決を支持したでしょうね。

 極東軍事裁判は、間違いなく歴史に遺る「人類の恥・文明の汚点」です。 それは、「裁くべきものを裁かず、裁くべきでないモノを、裁かれるべきモノ達が裁いた」裁判だからです。 この正義が何処にも無い裁判の裁判長を務めたウェッブ氏は、法律家として生涯後悔したと思います。

No title

ソロさん

彼らは敗戦革命に向けて
ひたすら負けるために努力してきたのです。
間違っても良い方向へなんか向けていません。

下はともかく上の中枢の革新の部分は
そうでした。

その話は後程やります。
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