政治なんてららららららら~~~~~~



与党なんてらららららら~~~~

野党なんてららららららら~~~~~~



日本なんてらららららららららら~~~~~~~

世界が大事で色んな人権が大事で~~~

でも中には日本だけが無いよ~~~~~~~~

思想なんかないのに

目的なんかないのに

過去の栄光だけがあるよ~~~~



マルクスなんてららららららら~~~~~~

日本なんてららららららら~~~~~~

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

青春の思い出

>楽さん ソロです。
>>吉田拓郎
 この人は、私よっか7~8歳上で、私が商船学校の1年生で、毎日6時半に起きて、部屋の掃除をして、朝の点検の準備をして、点検が来る直前のタイミングで、3年生を起し、布団をたたむ、点検が行くと、掃除当番かかれを俟つ、15分間の掃除が終わったら、食事当番かかれ、を俟ち、2年生、3年生の食事を食堂に用意して、2,3年生の到着を待つ・・是が朝の1年生に日課なんですが、この間約1時間半、放送から、色んな最新の音楽が流されて居ましたね。 今となっては、ほろ苦い、青春の思い出です

 最初は、PPMだとか、ボブディラン、ジャニス・ジョプリンなんて、田舎の中学生には、名前を知って居るのが精々で初めて聞く曲が多かったですね。 実際の処聴いてきたのは、タイガースだったり、テンプターズだったり、内山田洋とクールファイブ、ピンキィトキラーズだったりしたモノでしたから。

 処が或る時、ガラッと変わった曲が流れ始めます。 朝の掃除をして居ると突然、放送のスピーカーから「私は今日まで生きてきました~・・時には誰かに脅かされて」なんて歌われると、身につまされて・・でも、その話を教室ですると、皆同じ思いだったりしましたね。 それが吉田拓郎との最初の出遭いだったのですが、その後、後に大有名になる、フォーククルセイダーズ、泉谷しげる、井上陽水、谷村新司、高橋真梨子・・が当番の三年生の趣味の違いもあって、続々と登場、忽ち、朝の放送は皆が心待ちにするイベントになりましたw

 前の年迄は、国立高校だったのが、高専に昇格になったはいいけど、その境目の世代は、普通は、1回の留年は認められているのに、特例で、落ちたら即退学、としたので、最後の高校生のフラストレーションは大きく、直ぐ下の高専1期生はムチャクチャ殴られたそうで、其の1期生が3年生になった時、新2年生が「説教=暴力反対運動」を展開し始めたので、3年生は怒り狂い、2年生の中には、歯を折られた、鼓膜を破られた、終いには、眼球破裂で退学する他は無くなった2年生迄出て、刑事事件寸前の処まで行ったと言う不祥事が出来しました。

 処が、殴った方の1期生は、無期停学処分で済んで居る、と言う事例を遺してしまい、是が後で、5人退学、4人退学、と言う悲劇に繋がって終いました。 昔はそれ位、暴力に対する容認度が緩かったんですね。 其れにしても、他人の一生を左右しているのに、良く其れで済ませたものだと、その無責任さに今更ながら、呆れて居ます。 校長は、世界で5本の指に入る、コマンダーキャプテンの称号を持って居る人で、東京商船大の名誉教授兼任の方だったんですがねぇ。

 其の2年生が3年生になり、入ってて来たのが我々高専4期生でしたので、寮の中は未だ荒れていて、町の高校生処は、ヤクザも避けて通る様な学校でしたwww。学生の生活も荒れて居て、酒・煙草、麻雀は当然、女性のいない生活が耐えられないモノ(金が有るモノ)は、岩国市や広島市の高校生や大学生をひっかけて、御定まりの妊娠、中絶費用を、寮内カンパなんて恒例行事でしたね。

 まぁ、ハッキリ言えば、勉強どころでは無かったのですが、それでも、国立高専ですから、年次の上がりの審査が厳しく、学業なら、年4回のテストで、1教科50点、全教科平均55点、追試は、50点以下3教科迄で、其れを超すと追試無しで留年、同じ年次は2回までで、3回目は無く退学。 

 それで三月末には、毎年、退学者が10人以上出て、退寮の荷物を引き取りにくる父兄、特に母親の泣き声が、廊下に谺する、のを聞かされる、と言う現象を1年~2年時と4、5年~実習時を除いて、毎年経験しましたね。 オソラク退学で見送った先輩・同期生・後輩は、100人を超して居るでしょう。 私自身も、2~3年、3~4年時に、同じ教科(電子工学)で2度留年して居ます。 教科担任の教授と犬猿の仲だったものでwww

 拓郎の曲は、拓郎がフォークロックからポップスに乗り出しても、皆で懐かしがって聞いて居ましたが、その裡、レッド・ツエッペリンや、ディープ・パープルを経て、ジャズが流行り出し、寮内の雰囲気も大きく変わって行きましたね。 

 まぁ、日本に大きな変化が起こった70年代の初期~中盤に懸けての話です。色々な変化に、一体何を目指せばいいのか、ドンドン分からなくなった時代で、最後は、学校に入る時は、500%以上あった就職率が、出て看たら、毎年商船高専5校、商船大学2校+αで、千人近くが卒業するのに、全国レベルで5人しか求人が無いと言う酷い時代でしたね。

 学校の教官共は、其れまで、下げた事の無い頭を下げ捲っていた様ですが、所詮は、「武士の商売」みたいなもの、あちこちで剣突されて、練習船に報告に来たときは、」しょげかえって居ました。(爆笑)

 私が商船三井系列の子会社に就職したら、教官が吃驚して居ましたがね。 だって、航海科出身なのに、機関修理が主の船舶の沖修理会社に入ったのですから、然も大手、勿論コネですがね。

No title

う~~~ん

下駄を鳴らしてぇ奴が来るぅ
赤い手ぬぐいぶら下げてぇ~~~~
の世界ですね。

プロフィール

楽仙堂

Author:楽仙堂
リンクフリー
勝手にコピペしていってOKです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR