1人では生きていけなくとも

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二人ならなんとかなることもある。
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一人では生きていけなくとも二人ならなんとかなることもある

>楽さん
>>1人では生きていけなくとも二人ならなんとかなることもある
 ↑は、私が独身だった頃、散々周りから言われた事ですww 結婚出来無かった、或いは、したく無かったワケでは無く、単に、商船学校~船の修理屋と言う、男ばかりの世界で暮らしてしまい、女性との接点は飲み屋の姐ちゃんダケと言う環境に甘んじてしまったダケなんですがね。 300/365日の飲み屋通いが20年程続いたので、約6千万円位は、飲み代に消えて居ます、家2軒分位ですか、つまり、相当のバカだったワケです。ww 別の意味で、今もそうですがww

 入った給料は、片っ端から飲み代に消えて行くので、当然、貯金も無く、寧ろ、借金でふうふう言って居ました。

 結婚する気になったのは、母親が、何回か目の危篤状態になったと聞いて、故郷に帰って入院している母親の顔を見た時、「こりゃあ、今迄とは違うなぁ」と、心に感じたからでした。 でも、私の都合だけで、結婚してくれる女性などいませんし、当時は、結婚に興味の無い女性とばかり付き合って居ましたからね。 

 2年くらいかけて、身辺整理をして、誰とも付き合って居ない状態になった途端、出遭ったのが今の女房で、3月17日に会って、付き合いを申し込み、3月の末に彼女の御母さんに、「下さい」と申込み、4月に鹿児島に連れて行って、母親に面会させて、5月に入籍したと言う、今迄が嘘の様な展開でしたね。 でも、その年の7月26日に、母親は死んで終いました。 親孝行の一つも出来なかった事が悔やまれますね。ァと

 爾後、モゥ20年を過ぎましたね。 結婚したのが43歳、女房は2つ下ですから、流石に子供は出来なったけれど、喧嘩し乍らも、何とかやって居ます。 特に、この3年位、死に瀕した病気=脳梗塞(28年)と敗血症(29年)を経験した時は、女房のありがたさg身に沁みました。 やっぱり一人じゃ生きていけないし、生きて居る価値も半分だなぁと、この頃、思って居ます。 私が30代の頃は考えもしなかった事ですがね。ww

No title

ソロさん

人生の前半は実に楽しそうですね。
羨ましいけれども後半は辛そうです。

それだけのお金があったならば
確かに家も買えそうですね。

恐るべし、夜の街!!!!

飲み代は、社会勉強代でした

>楽さん
>>恐るべし夜の街!
  否、負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、其れだけの散財をした事を、実は何も悔やんだりして居ません。  色んな人に遭えたのがその理由です。 遭えて話を交わした人の中には、山口組の幹部の人もいたし、機動隊の兄ちゃん達も居て、色んな裏話も聞かせて貰いましたし、「人は上辺では。分らない」事も、色んなケースで学ばせていただきました。

 自分が使った金と奢って貰ったお金は、多分トントンだと思います。 お蔭で独身の30代の男では、決して味わえない様な贅沢な料理も奢って貰ったけれど、一人として、恩に着せる様な人はいませんでしたね。

 唯ヤクザのオッちゃんからは、「外で遭っても知らん顔をしとけ、変に挨拶したら、若いモノが嫉妬する」と言われた時は、正直、ゾッとしましたね。 

 神戸は、色んな顔を持って居る街ですが、やはり飲み屋街では、ヤクザの喧嘩によく出っくわしました。 店の若い女の子が、必死で止めるのも聞かず、明らかに、お供を連れたヤクザの幹部に、これまたチンピラヤクザ丸出しのオッサンが、喧嘩を売って、飛び蹴り失敗して、腰をさすって唸って居ましたたが、皆、嗤うに嗤えず看て居ると、何時の間にか、ボディガードと思しき黒服が、十数人集まって来ていたのは、怖かったですね。 そのオッサンも縮み上がって居ましたが、女の子が、泣きながらも、幹部に謝って居たのが、印象に残って居ますが、多分、あの後、オッサンは、焼を入れらえたんでしょうね。

No title

ソロさん

羨ましいなぁ。
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